あるギャンブル依存症の方の母親の手記を紹介します。
ひこばえの会に相談に来られて、以来、ひこばえの相談員とご家族との壮絶な日々が綴られています。
一人でも多くの悩みを持つ皆様と、その実態を共有し、悩み苦しむ人々を一人でもなくしたい。
そういう趣旨でご紹介を致します。
経歴
現在44歳の長男、優柔不断な性格。大学を卒業後金融会社に就職。才能をかわれ、とんとん拍子で出世。2~3か所の支所を開拓している。
数を増すごとに責任範囲も広くなり、自分の限度以上の要求が求められる。
就職して5~6年後突然に辞めたいと連絡。
会社の要求額を達成するために借金をしたと家族に電話。
子供との同意の結果退社。その後、自宅より通勤できる会社に勤めるが、1~2年で辞めては新しい所へと転々としていた。
しかし、無職の期間は殆ど無かったと思う。
3 0歳を過ぎた頃より新たな借金を抱えていることが発覚。
驚きと同時にまず頭によぎった事は人様に知られてはと言う世間体の思いの恐怖だった。
次に子供に対しての混乱 ! 怒り !子供と向き合い何度言い聞かせたかは数えることは出来ない。
その都度子供は泣き伏しては、ゴメン!の言葉を繰り返した。そして借金の肩代わり。繰り返すごとに増える金額。約、10年間 …ほとほと家族は疲れた。
悪循環の連続だった。ギャンブルしないようにと説教したり、監視をした。けれど、ことごとく失敗した。またギャンブルさせないようお金を管理したり、ストレスをなくそうと興味を持たせようともした。
しかし、最後は、本人のしたことの後始末に追われるようになった。
家族の行動は、もともと愛情、好意、責任からでていたのだが、頑張れば頑張るほど状況は悪化するという悪循環におちいってしまった。
途中2回の自殺未遂を図った。予想と言うか覚悟はできていた。しかし現実に事件が起こると家族の壮絶な戸惑いの思いは、経験したものしか理解は出来ないと察する。
このような不幸な生活が永遠に続くように思われ回復することが想像出来ない自分になっていた。毎日が子供の事で頭が一杯で、自分自身の事を考える余裕がなかったと言える。
ここで気が付かねばならぬ重要なのが生き方の方向転換であろう。(自分の問題として取り組む事)そのためにはひこばえの会の勉強会、さらに家族会での仲間づくりが必要と思われる。
家族会とは、家族同士の分かち合い、すなわち胸の奥に詰まった悩みを出し、心の負担を軽くする事を学び・・そして家族は共依存だと言う事も知り、さらに我々はギャンブラーに対し無力だと言う驚きの事実も学んだ。
また、我々家族は、ギャンブル依存症と言う病気への理解をまず深める必要性も感じ、さらに理解することにより家族の対処法も共に理解することが出来るのではないか。ギャンブラーの気持ち、あるいは行動が少しでも理解できれば、何かが変わってくると感じた。
今回は主にギャンブル依存症とは?またそれに伴う家族の心理について話を進めたいと思う。
この論に付いては第一人者である森山先生、園田先生の講演を、繰り返し聞く機会を得、その中から引き出してみたいと思う。
●そもそも依存症とは、性格に関係なく制御力を失う病気である…いわばコントロール障害がある。
●これに伴う特徴として
①渇望(心から希望すること)駆り立てられる感を持つ。
②行為の繰り返しによりしないではいられない。
③他の行動への関心の低下。(これは脳内の神経伝達物質であるドパミン、セロトニン、ノルアドレナリンによりギャンブルばかりに関心が行く。)
④不利な結果にも関わらず継続する。ことなどがあげられる
※ここでさらにギャンブラーの心理として論じてみよう。
1.3万円ほどかりるつもりだったが(20万円まで大丈夫ですよ)と言われ自分の社会的信用の高さに驚いた。(貸金業の手法・罠)
2.借金が膨らむとギャンブルでしか返すほかはないと思う。
3.借金が悪いのであってギャンブルが悪いわけではない !と思い込もうとする。
4.きょうの調子が悪いだけで、この次は違う方法でやってみよう、と必勝法を探し続ける。
5.負けた時の記憶は消失するが借金の事実だけは目の前に残る。
6.借金が見つかった時に少しだけ隠して家族に告白する。(一部を公表しないわけは、自分の気持ちの中でギャンブルに行く口実をつくる為)
このような病気の症状を持つギャンブラーに対し、家族は叱ることや、泣き言だけではかえって依存を深めてしまう理由がここにあると思われる。
大事なのは病気だという自覚が、本人に無い事が大きな壁となっている。実際に本人は身動きが取れない状態になっても認めないことがある。
家族も関わりには限界の時期ではなかろうか?
ここで、仲間の経験談や、知恵を借りる必要があると思われる。家族だけで解決することは至難の業ではなかろうか!
我々家族は依存症者の問題から「手を放す」ことが、必要となることを知る。。
「手を放す」とは色々な分野での、恐れを乗り越え、家族は行動を変えねばならない。今まで「私がやらねば、大変なことになる」と思っていた行動を「私がやらなくてもいい」に移し替えることが必要である。
家族がギャンブラーの問題から「手を放すj ことで、傷から、いやされギャンブラーは自分の問題に直面することが出来る。
今回、「ひこぱえの会」の存在を知りえた事で、九死に一生を得たことは、間違いではない事は確信できる。これ上もない感謝の気持ちでいっぱいである。
特に、「ひこばえの会」の小西さんには、お礼の言葉が見つからないほどの、感謝である。又、「ひこぱえの会」の皆さんによる借金の解決、又これからの本人と家族への人としての生き方の指導、さらに気持ちのゆとりが少し出始めた矢先、スッリプし打ちひしがれた気持でのアドバイス。何をとっても感謝の言葉以外は思い当たらな
い。
また、我々家族は依存症の問題から、ギャンブラーから「手をはなす」事の必要性も学んだ。
「手をはなす」とはギャンブラーの行動でのおそれを乗り越え、家族は行動をかえねばならない。
今まで、「私がやらねば、大変なことになる」と思ってた行動を「私がやらなくてもいい」に移し替える必要も学んだ。
家族が「手をはなす」事で、家族は傷から、いやされギャンブラーは、自分の問題に直面することが出来る。
我々家族にとって、ひとつひとつが、「ひこぱえの会」を抜きには考えられない。
今までも,更にこれからも「ひこぱえの会の家族」として仲間の力添えを願うと同時に微々たる協力が生かされれば幸いに思う。
大変お世話になっております。
このホームページを初めて拝見致しました。
恐らく私の事だと思います。恥ずかしいやら後悔の念やらで非常に複雑な心境です。
ギャンブルをやっている時は、「お金」の事しか考えていませんでした。
遊ぶ金欲しさに借金をし、その借金を返すためにギャンブルをし、ギャンブルに負けるから借金を繰り返す。
自分ではどうもこうもならなくて、家族に泣きつくの繰り返しでした。
家族が、世間体から肩代わりをしてくれるのはわかりきっていました。
もちろん最初から肩代わりを期待するわけではありません、今度こそうまく儲けてうまくやってやると毎日考えていました。
しかし、現実は甘くなく、借金を繰り返しては肩代わりを「世間体」を武器に脅し肩代わりをさせていました。
ギャンブル依存症対策等本人への対策・治療は十分ではないといえ少しづつ社会的認識が出てきて、前に進んでいるとは思います。
しかし、ギャンブル依存症の本人に苦しめられた人たちへの「心の癒し」には、まったく目を向けられていません。
そのようなときに、ひこばえの会様のようなケアをしてくれる所があるのは、ギャンブル依存症の本人に苦しめられた人たちへの「心の癒し」になると思います。
ギャンブル依存症は怖い病気です。本人だけでなく周りを巻き込みます。
それに本人は全く気づきません。
それは、ギャンブルを止めても忘れてしまう事が多々あります。
勝手なお願いですが、ギャンブル依存症本人の「治療・癒し」は社会的支援が少しづつ受けれるようになっています。
しかし、前述のように家族にはまだ支援の輪が届いていない気がしています。
家族への心のケアは、私たちではどうしようもできません。
ぜひ、お力を貸してください。よろしくお願いいたします。